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桂文珍(Bunchin Katsura)

時代を笑わせる(文:小佐田定雄)

その男は夢1948年12月10日に兵庫県丹波篠山市で産声をあげました。イノシシと黒豆を友にすくすくと成長し、
いずれは立派な農家の後継者に育つ…はずだったが、落語の魅力にとりつかれてしまい、大学の落語研究会で大活躍。

小文枝時代の5代目文枝の高座を見たとたん「この人はボクに赤い糸を投げかけてくれはった。
ボクとこの人は赤い糸でつながれている」
とビビッと感じて入門を決意。後に文枝師に
「赤い糸、投げてくれはりましたよね?」と確認したところ、
師匠の答えは「そんなおぼえはないなあ」…。

無事に入門を許され、芸名を付けてもらうことになります。
師匠からは「『はん枝』ちゅうのはどないや?はんなりしたええ名前やろ」
と言っていただいたものの「半紙は風で飛ばされそうなんで、
もうちょっと重みのある名前をいただけませんやろか」
とお願いして、半紙を押さえる「文鎮」。
「鎮」の字を落語家らしく「珍」の字に変えて「文珍」と決定いたしました。
これが「落語家・桂文珍」誕生のいきさつです。

師匠のもとで古典落語の修業に励む一方で
兄弟子の桂三枝(現・6代文枝)が司会を務めていたテレビ番組『やんぐおーおー』の中で4代目林家小染、月亭八方、桂きん枝(現・4代目小文枝)と組んだ落語家ユニット「ザ・パンダ」で人気爆発。「働く農協青年」「落語界の瀧廉太郎」のキャッチフレーズで地味に奮闘していました。

おりから起こった「創作落語ブーム」の波にのって、シンセサイザーを使ったり、天使の輪の代わりに頭の上に蛍光灯をぶらさげて新しい噺を演じておりました。

1982年からは毎年8月8日を「88文珍デー」と定めて独演会を開催しています。
同時にテレビやラジオでは話をみごとに仕切る才能を評価され、バラエティから報道番組まで幅広いジャンルの司会を引き受け、一時は17本のレギュラー番組を持っていました。その話を耳にした松竹新喜劇の藤山寛美さんに「17本はしんどいですなあ。これからは無くなって行くさかい気ぃつけなはれ」と言われた言葉に衝撃を受けて、軸足を落語に移すことにします。
師匠や先輩から古典を伝承するだけでなく、時代にあわなくなった部分は新しい工夫をプラスして演じています。
一方で最新の情報をもとにした新しい時代の落語を創作し続けています。
あらゆるジャンルにアンテナを張り、手に入れたちょいと新しい情報に「笑い」の粉をまぶして世間に紹介します。

「いま、一番なにがおもしろいのか?」を永遠に追い続けていく男…桂文珍。
彼が笑わそうとしているのは、お客様を含めた「時代」そのものかもしれません。

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